『そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?』 深沢真太郎

ざっくりと

 近年ありがちな、主な登場人物二人の会話形式で進行する形。
サオリ…ノリとイキオイだけで生きてきた、感情的で短絡的な人物。広告会社に勤務。

優斗…数学専攻の大学院生。細身の体型にサラサラの髪、若手俳優に少し似た甘いマスク、とある。
 イキオイで返答し、勘で仕事をし、失敗して「ちゃんと考えて仕事をしろ」と叱られて、人生に行き詰ったOLサオリが、たまたま新幹線で隣の席に乗り合わせた、難しそうな本を読んでいる見ず知らずの大学院生に「あのさ”考える”って、どうすればできるの?」と絡むお話でした。

感 想

 図書館のデータベースで題名に興味を持って貸し出し予約したのですが、こういう進行の本かぁ…となりました。ビジネス数学の専門家であり教育コンサルタントである著者は、分かっていない人に対して指導することに非常に長けた方なんだろうな…と思いました。実に、勉強になりました。
 日常生活では、つい忘れてしまいがちな「世の中の半分は、偏差値でいえば50以下の人たちで構成されている」という重要なことを思い出させてくれる本でした。
 論理的思考について学びたくて手に取ったわけですが、わたしの周囲(家族や友人や職場)でいえば「このくらいは中学に上がる前に、出来ていて当然」のことが書いてありました。でも、たしかに、人生全体で思い起こせば、サオリのような人の方が多かったです。論理的であることについて「帰納的」に考えると言っても「機能的?」と返してしまうなど、スムーズな会話が困難で、ひとつひとつ教えてあげながらじゃないと話を先に進められない人。(サオリは文系出身の設定ですが、文系出身のわたしからすると計算問題は苦手でも、単語の意味さえ知っていれば、文脈から帰納か機能かの区別はついて当たり前なので、文系理系問わず、サオリがボーダーフリー出身という設定と思われます)

 サオリの元カレの話も出てきますが「論点が整理されていない相手とはケンカしても正しいケンカにならない」と、よく言われた…とのことで、読んでいて走馬燈が流れかけました。
「だって、ネットにそう書いてあったよ‼」
「いや、だれかがウソ書けば、ネットだってウソ書いてあるじゃん?」
「でも、本当にネットにそう書いてあったんだから‼」
「だから、その書いてあること自体がウソかもしれないよ?って言ってるの」
「なんで??ネットに書いてあるんだから、ウソなわけないじゃん‼どうして信じてくれないの‼」
…orz
 元カレに対しては、感情論の自分が論破されてばかりで悔しいみたいな、恨みに近い気持ちもあって、サオリは相手を論破できるような人間になりたいと思っていて「相手を論破したいと思っている時点で既にどっぷり感情的なのでは??」と感じました。そんな人物を相手に、論理的思考をレクチャーしてくださる著者には、尊敬と感謝の念を禁じ得ません。

 余談になりますが、
同じ論理的思考でも「展開思考」と「戦闘思考」という概念を最近、知りました。

”展開思考”…マインドマップや箱庭のような世界観の思考タイプ。拡がりがある。
”戦闘思考”…対象の論破やラベリングなど、達成したい目的を持つ思考タイプ。 

岡田斗司夫

 場面による使い分けが重要なんだろうけども、基本は「展開思考」がいいなぁ、好きだなぁ…クリエイティブだし、長期的な視点では、最も持続的で解決能力が高そうだなぁ。最近は良い意味で性差が薄くなってきたけど、昭和時代の男って、ホント、論破ダイスキだったなぁ。なんだアレ。中年男性でも中学生の反抗期みたいな屁理屈で、あまりの飛躍と創造と支離滅裂な幼稚さに呆れてポカンとなったら「オレ論破してやった‼オレの勝ち‼」みたいに得意げになるの。大局を無視して、小競合いにムキになってる口の臭いオジサンたち…。

 昭和時代は、論理的に考えることは「若いくせに生意気だ」「女のくせに生意気だ」と叩き潰されて思考を禁止されてきましたが(東京オリンピックの際、委員長である森元総理大臣の発言が芳ばしい昭和臭を放って、とても話題になりましたね。2023年現在、まだまだオリンピック汚職事件の捜査は続いています。今後の展開がたのしみです。あの時期は、署内で証拠を保管していた部屋が原因不明の火事になって、証拠が燃えて消滅してしまったり大変でしたね)少しづつ日本人も価値観が進化しているようで、生きやすくなって良かったです。

 昭和の社会では、声が大きくて強引で図々しくて卑怯な人ほど「勝てば官軍負ければ賊軍」で悪人こそが生きやすい昭和の世の中でしたが、
現代社会では「問題解決能力が高い人」…聖人君主でなくとも、少なくとも「論理的に考えて、先を見通した正解を提示できる人」が求められるようになってきました。
 いまさら反省しても、この先50年以上、日本は国力下降の一途を辿る一本道ですけどね‼
同じ昭和でも、戦争に出征された世代の方々に本当に申し訳ないです。ですが、結局いま生きているのは、戦争で生き残った利口な女と卑怯な男と、その子孫たち…ということになるのでしょうか。そんな事実は気分よくありませんが、わたしはわたしで息子たちを「自分の機嫌の悪さを、自分で解決できなくて、女の人に察してもらって、無料でサービスを受けて自分の機嫌を良くしてもらおうとする男性にならないように育てる」任務は果たせたかなぁ?と思います。
 支えあい、助け合い「お互いさま」を成立させるためにも、論理的思考は大事だと考えています。
主語や目的語を省略しがちな日本語文化の短所でもあります。察してもらうをアテにするばかりで(マザコンか)状況や目的を言語化して「頼むこと」が出来ない成人男性。頼むというのは、頼んだ責任が生じてしまうので無責任な人間には出来ないことなので、大人の男が出征して、守られる側だったコドモがそのまま大きくなって無責任なオトナになったオジサンたちは、腹を据えてものを頼むということは出来なくて「察してくれるオンナは有能だから、家来にしてやる」”弁えるオンナは家来、弁えない女性は敵”という価値観です。感情論以外の何物でもないですね。論理的思考以前に「事実を認めるか、否か」という根源的な問題もあったりしますが…。

 いまブラウン管の白黒テレビや黒電話を使っている人はいないと思います。情報の入手も連絡もスマートフォンでしょう。汚いオジサンたちの倫理観も、物理的に視覚化されてアップデートされればいいのにな、と思います。そして、幼稚な感情論で「むかしは良かった話」を繰り返すのではなくて、事実に基づいた論理的思考ができる能力をインストールしてほしいと思います。

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